HISTORY

駒込六義園の系譜

g e n e a l o g y   o f   k o m a g o m e   
r i k u g i e n

三二〇余年、
遥かなる時を想わせる
邸宅地の系譜。

時代を超えて変わらない、
という不変の価値。
真の邸宅地とは、
街が造られた頃からの姿に
想いが宿り、
時間をかけて育まれていくもの。
六義園とともに歩んできた
駒込の街並みには、
そんな滲み出るような
品格が備わっている。

  • その庭園では、
    四季の風景が絵画になる。
  • そこにあるのは、
    柳沢吉保が描いた日本の心。
  • 江戸の人も、現代の人も、
    一体、どれほどの人を感動させただろう。
  • 幾つもの季節を繰り返し、
    悠久の時を超えて今、あなたの季節と出逢う。
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全て六義園(徒歩2分/約160m)

  • その庭園では、
    四季の風景が絵画になる。

    六義園(徒歩2分/約160m)

  • そこにあるのは、
    柳沢吉保が描いた日本の心。

    六義園(徒歩2分/約160m)

  • 江戸の人も、現代の人も、
    一体、どれほどの人を感動させただろう。

    六義園(徒歩2分/約160m)

  • 幾つもの季節を繰り返し、
    悠久の時を超えて今、
    あなたの季節と出逢う。

    六義園(徒歩2分/約160m)

嘉永2年-⽂久2年(1849-1862)刊「巣鴨絵図/駒込絵図」国⽴国会図書館所蔵

「六義園」⼀帯の起源は
江⼾時代へと遡る

徳川綱吉

徳川綱吉より拝領した⼟地を、
柳澤吉保自らが「六義園」として設計。
園芸の⼀⼤名所となり、三菱財閥へ受け継がれた後は、
⽥園都市構想を先駆けた邸宅地
「大和郷(やまとむら)」へ。

柳澤吉保が手掛けた「六義園」を中心に発展してきた駒込六義園。江戸二大庭園に数えられた周辺には植木屋が集まり、一大園芸名所として名を馳せた。明治維新後は、三菱財閥創始者・岩崎弥太郎へ受け継がれ、土地の一部は田園都市構想を先駆けた「大和郷」へ変貌。東京の上質な邸宅地としての地位を築いていく。

水木家旧蔵六義園図柳沢文庫所蔵「六義園の図」

⼟地の記憶が物語る、
特別な地であることの証明

h i s t o r i c a l    t i m e l i n e

  • 1 6 9 5 (元禄8年)

    柳澤吉保( 別名 松平美濃守吉保) が五代将軍徳川綱吉より下屋敷として⼟地( 現六義園) を拝領

  • 1 7 0 2(元禄15年)

    柳澤吉保が将軍綱吉より拝領された地に⾃ら設計を指揮し「六義園」を完成、江⼾⼆⼤庭園に数えられる存在に

  • 1 7 2 4(享保9年)

    柳澤吉⾥( ⼆代⽬) は甲府藩⼗五万⽯から⼤和国郡⼭藩へ
    ※「⼤和郷」の呼称はここに基づくとされる

  • 1 8 5 0 (嘉永3年)

    「六義園」周辺の上駒込村、染井村、巣鴨村に多くの植⽊屋が集積、園芸の⼀⼤名所となった

  • 1 8 6 8(明治元年)

    明治維新

  • 1 8 7 8(明治11年)

    三菱財閥創始者・岩崎弥太郎が「六義園」を含む周辺の⼟地(現本駒込6 丁⽬/⼤和郷) を購⼊後、庭園を再整備

  • 1 9 2 1(⼤正10年)

    岩崎久弥( 三代⽬) が「六義園」以外の⼟地を売却

  • 1 9 2 2 (⼤正11年)

    売却された⼟地は住宅地「⼤和村」として分譲開始「⼤和村組合」が発⾜、その後「⼤和郷」と改称
    ⻄欧の⽥園都市構想を先駆けた邸宅地としての始まり

  • 1 9 3 8 (昭和13年)

    岩崎久弥が「六義園」を東京市へ寄贈・⼀般公開

  • 1 9 5 3 (昭和28年)

    国の特別名勝に指定
    ※ 関東⼤震災・東京⼤空襲の
    ⼤きな被害を受けなかった稀有な存在

  • 現在

    桂離宮の様式を採⽤した回遊式築⼭泉⽔庭園としてまた東京三名園として親しまれている

左右にスワイプできます。

  • 1 6 9 5 (元禄8年)

    柳澤吉保( 別名 松平美濃守吉保) が五代将軍徳川綱吉より下屋敷として⼟地( 現六義園) を拝領

  • 1 7 0 2(元禄15年)

    柳澤吉保が将軍綱吉より拝領された地に⾃ら設計を指揮し「六義園」を完成、江⼾⼆⼤庭園に数えられる存在に

  • 1 7 2 4(享保9年)

    柳澤吉⾥( ⼆代⽬) は甲府藩⼗五万⽯から⼤和国郡⼭藩へ※「⼤和郷」の呼称はここに基づくとされる

  • 1 8 5 0 (嘉永3年)

    「六義園」周辺の上駒込村、染井村、巣鴨村に多くの植⽊屋が集積、園芸の⼀⼤名所となった

  • 1 8 6 8(明治元年)

    明治維新

  • 1 8 7 8(明治11年)

    三菱財閥創始者・岩崎弥太郎が「六義園」を含む周辺の⼟地(現本駒込6 丁⽬/⼤和郷) を購⼊後、庭園を再整備

  • 1 9 2 1(⼤正10年)

    岩崎久弥( 三代⽬) が「六義園」以外の⼟地を売却

  • 1 9 2 2 (⼤正11年)

    売却された⼟地は住宅地「⼤和村」として分譲開始「⼤和村組合」が発⾜、その後「⼤和郷」と改称
    ⻄欧の⽥園都市構想を先駆けた邸宅地としての始まり

  • 1 9 3 8 (昭和13年)

    岩崎久弥が「六義園」を東京市へ寄贈・⼀般公開

  • 1 9 5 3 (昭和28年)

    国の特別名勝に指定
    ※ 関東⼤震災・東京⼤空襲の
    ⼤きな被害を受けなかった稀有な存在

  • 現在

    桂離宮の様式を採⽤した回遊式築⼭泉⽔庭園としてまた東京三名園として親しまれている

左右にスワイプできます。

ソメイヨシノ発祥の地
「駒込」

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六義園周辺の上駒込村、染井村、巣鴨村には植木屋が多数あり一大園芸名所を形成。
世界でも類を見ない規模を誇り、美しい桜・ソメイヨシノ発祥の地としても有名。
「繪本江戸土産」には江戸の名所・染井植木屋が描かれている。

  • 「繪本江⼾⼟産」安藤広重 画:国⽴国会図書館所蔵

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田園都市構想が花開いた、現代へと受け継がれる邸宅街。

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大和郷

この街を歩くと、緑の息づかいが聴こえてきそうな感覚さえ覚える。
東京の中心でこれほどの静謐を讃え、お屋敷が整然と連なる景観は数少ないだろう。
日本で田園都市構想を先駆けた「大和郷」は成熟を重ね、
駒込周辺の街並みへと影響を与えながら
今なお憧れの存在として、これからも特別な時を刻み続けていく。

※掲載の環境写真は2022年1月に撮影したものです。
※徒歩分数は80mを1分として算出しています。現地からの距離は地図上の概測です。